novel

Multiple Personality Disorder
III

櫻 朔弥

III−1

そもそも、自分が男か女かなど、考えてみた事も、それで悩むようなこともなかった。
お前は女の子なのだよと言われて育ったし、友達も疑わなかった。
第一誰かに対して恋愛感情を抱くこともなかった。
性同一性障害のケースならば聞いたことはある。
男であればかわいい格好がしたいだとか、女であればヒラヒラした服は着たくないと。
そのうちに、思春期をむかえ、恋をして、その時どうしようもない壁にぶつかる。
それが、同姓への恋愛感情。けれど、双樹(じぶん)にはそんな暇はなかった。
双樹が、男でも女でも父には関係なかった。
自分の兄と姉に似ていればそれでよかった。
双樹などという精神ではなく兄と姉が乗り移ってしまっても問題ないと思っているようだった。
それほど父親は兄弟を崇拝していた。
だから、男だろうと女であろうと問題はない。
双樹は入れ物・器でしかなかったのだから。
そこから逃げる事だけを毎日考えていた。余裕などなかった。
なぜならば、双樹の体が男でもあり、女でもあると聞いたとき、父親はショックよりも喜びを覚えていたのだから。

黒耀(こくよう) 双樹(そうじゅ)

その名の指す通り「これは偶然ではない」と。
双樹はやはり兄と姉を宿す(うつわ)となるのだと。

けれども、好きにすればいいと、そういったのは、双樹のためでもなんでもなかった。
男系・女系・黒耀家にはそういう偏りはないが、双樹がいまだに不安定であるのは、身体に原因があると思われていたからだ。
好きに、自分の望む性を決めれば、精神(こころ)も安定すると思われていたのだった。

双樹がいつまでも安定しないのは、自分たちが与えてしかるべき、
“無償の愛が足りないから”
という…当然の事に、両親は気づかなかった。





III−2

好きになった人はいない。
正確に言えば、“いい人だな”と“好意”を持つことはある。
ぶっちゃけてしまえば、誰かを抱きたいと思う事などない。
したがって、抱かれたいと思うこともない。
そういう“好き”とは、無縁だ。

けれど…心の奥に…
とても、とても、奥深くに
消えない気持ちが…ひとつだけあって
消えない顔が…あって
隠しておきたいと、
願って
願って

あの――――青白い
奥深い場所に自分と一緒にしまい込んだはずだったのに

樹憂は見つけ出した。

いつもそうだ。

樹憂の気持ちは私には見えないのに
何故だか、樹憂は私を見透かし、大切なものを壊そうとする。



あの青白い場所で凍える私を
暖めてくれるのは
大好きだった祖母と…



暖かくしてくれるのは…
好きな…

唯一“好き”だと思ってしまった



大和(やまと)



大和はこの気持ちに気付いているんだろう。
それでも、優しく、変わらず、接してくれる。
もしかしたらそれは…予防線かもしれない。
変な気を起こしたら、この均衡が崩れるんだという無言の圧力。
でも、
それでもいい。

大和となら、一緒にいたいと思うけれど
私が大和を幸せにできるとは……到底思えない。
それに、大切な従兄弟である大和を……どうしたいとも思わない。

ただ

“好き”でいる事だけ

それだけを



どうか



…どうか許してください。







III−3

“本物の双樹”を知っているのは自分だけなのだと大和は気付いた。
どうして、こんなに情緒不安定でいる双樹をいたわってあげないのだろうと
不思議に思っていた謎がとけた。

大和の前でだけ、双樹は双樹の身体に戻る。
幼い間は、祖母に甘えることができた双樹だったが、祖母が儚くなってからは
祖母の名を語る謎の声、もう一人の自分“えんじゅ”が現れて
面倒な事(例えば両親の相手など)はすべて引き受けてくれたと言う。

一人のときだけ…双樹になれたと双樹は言った。
けれど、気付いた時には、えんじゅ以外の人格も存在していた。
次第に、一人のときも…双樹の自由にならない日が続き始める。

大和は一度…知らない女性と親しげに腕を組んで町を歩く双樹に会った。
長い髪は一つに束ねて、黒いジーンズに濃い青のワイシャツ。
元々、整った顔立ちで…モデルといえばそれで通るだろうけれど、
颯爽と歩く双樹は……どう見ても、青年にしか見えなかった。
けれど、見間違えるハズがなくて
目で追っていたら……目が合った。

瞬間、歪む双樹の顔。
頭を抱えて…歩道に膝をつき、倒れこむ。
それに続いて
「大丈夫!?ねぇ?」
露出度の高い連れの女性がかがみ込む。
頭を抱えたまま声のする方を見上げた双樹。
「…あなた…誰?」
「え?何言ってるの?」
しゃがみ込んだ女性の香水がやけに香る。
「…あの…私に…なにか御用ですか…?」
少し、怯えたように聞き返す双樹。
「双樹!」
大和が駆け寄ろうとしたその時
「なによ」
双樹に女性が向き直る。
「なによ!そういう事!?」

バチンっ!!

「自分から誘ったくせに、本命に会ったらアタシの事は記憶喪失って訳?」
落としたバックを握り締め、勢い良く立ち上がった。
「バカにしないでよ!それになにが“樹憂”よ。偽名(うそ)なんてサイテー」
ガツガツとヒールが怒りをあらわに、音を立てて去っていく。
それで終わったと思われた。しかし。
ふと立ち止まって、呆然とする双樹に女性は振り返り、とどめを刺したのだった。

「もう店にも来ないでよ!!」

痛む左頬に手を添え、いまだ呆然と座り込んだままの双樹に大和は駆け寄った。
「双樹?大丈夫?」
「……大和?」
雑踏の中、指差す者、何度も振り返る者、クスクスと笑う者…

それよりも、痛む頬よりも
何故、ここにいるのか解らない自分。
見覚えのない服。
自分にしか解らない…胸に固く巻かれた布。
目の前の大和。

呆然としながらも
「もう店にも来ないでよ!」
と、その言葉が何度も何度も脳内をリピートする。

もう(・・)

と。

店に()…と。



今でさえ、香水と化粧の匂いだけしか覚えていない、見覚えの無い女。
大和の前で…何と言った?

もう店にもこないでよ!

繰り返す。



私は…いつ、何度…その店へ………

正気ではいられなかった。



香水がキツイだけではなかった。
匂いしか覚えていない訳。

その香りだけには…覚えがあった。

月に何度か、頭痛に悩まされて起きる朝…
決まって、自分の身体や髪から香る、不思議な…

あの香り。



「うぐっ!」



予期せぬ吐き気に、双樹は…

食べた覚えのない“夕食”と思われるモノを路上へ吐瀉した。
まだ…生々しく原型をとどめていた。
よく噛んでいない証拠だ。
鮮やかな赤はまるで吐血のように広がる。



…ボンゴレ・ロッソ。



「っ…ぐぐっ」

戻したモノを見てまた込上げる。



双樹は…





貝が食べられなかった。


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