novel

Multiple Personality Disorder
II

櫻 朔弥

II−1

愛らしい少女の声は日を増すたび言葉を増していく。
言葉が増していくたび、双樹(じぶん)にとって記憶の曖昧な時間が増えていく。

けれど、増えていたのはそれだけでは無かった。
愛らしい声が、どこかで言葉を紡いで遊んでいる。
『あなたは“らくよう”、わたしは“えんじゅ”。そこできいてるあなた…あなたはそうじゅ?わたしの名なまえは、おばあさまのなまえ。だから、おばあさまとわたしはいつでもいっしょ』

冷静な洛陽(らくよう)。かわいい(えんじゅ)
愛らしい声は止まらない。

『あなたは“きり”』
父の姉の名前を読み替えた“樹璃(きり)
父親の理想とする姉・樹璃(じゅり) その双子の兄・樹里哉。
二つの樹・双子の樹。
だから双樹……私の名前だ。重い…重い…名前。
私は生まれ変わりじゃないのに――――

明るい樹璃(きり)は父のお気に入り。
自分の気にいる態度であれば、このさい男か女かなんて関係はないらしい。
私は…ダメだ。父親(あのひと)の前では体が強張る。
笑えない…

『ねぇクリス?』

臆病なクリス。仕方ない…まだ幼い。
直に伝わり、響く言葉が怖いのだろう。彼は英語しか話さない。
訳して伝えるというシールドで距離を測らなければ自分を保てない。
かわいそうな少年。

『そして…“きゆう”』

樹憂(きゆう)―――――嫌い。荒々しく短気で…でもスキが無い……男。
いつも、私が消えていつか私に成り代わる事を望んでいる。
平気で人を傷つける。
それは…大和まで―――――――。

大和…私の従兄弟。長い髪に白い肌。
強く、美しい……大和。

私を“私のままでいい”と初めて認めてくれた人。
初めて…誰よりも…大切にしたいと思った人。
樹憂が…狙っている女性。

自分の手に入れたいから、誰の手にも渡らないうちに自分の手中に収めたい。
それならば、多少傷つけても構わない
そう
殺めてもそれは仕方のないことだと簡単に言いのけた。

好きだから…傷つけないように守る事が全てだと私は思っていた。
それが普通(・・)だと。

「これがオレのやり方」

そう吐き捨てた樹憂。
理解できなくて、叫んだ言葉。
「普通じゃない!!あなたは―――!」
「そう。普通じゃない…オレ()は。この状況も家業も家庭も全ての環境も。理解できない事なんかザラにある。要は――捉え方…それだけだ。世界だってこの地球の人口分の姿がある。普通がある。じゃあ一体――――――――何が普通だ?」

そうだ。
普通じゃない。
家業・陰陽師。
父には伏せられていた双子の本当の死因は…家業であった依頼の解術の失敗。
私達が通称“返し”と呼ぶ状況。
捻じ曲がった父親の教育。
それを見もしない母。
そうだ…

全くもって普通な事など。

在りはしないじゃないか。




II−2

自分の中に集う誰か。
自分の中に住まう他人。

あの青白い、冷たい場所で知らされた事実。
あの青黒い、それでも少し暖かい場所で気付いた現実。

集っているだけなのか
住まわせているのか…
それとも…本当は
自分が誰かの中に住んでいるのか…。
複数の彼等達はそれぞれ私のように
自分自身が本当の自分だと思っているのなら
正直…とても…怖い。

この身体は誰の物?
親?自分?彼ら…

私が本物だと誇れること・その証拠・証明できるもの が
いったい、いくつあるだろう。

そんな想いごと、いつか…例えば…樹憂なんかに飲み込まれていくのだろうか…。

毎日が戦い。
それは、“命あるもの”全ての宿命。
私でない他の人々は、自分の心や他人と戦うことはあるだろうけれど
私のように
自分の心のような自分の心とはかけ離れたモノと戦う事は少ないはず…。

「お前を乗っ取る」そう口にしながら
全てを飲み込んではくれない樹憂。
私から全てを乗っ取ってしまえば、これ以上苦しむことなく私は消える。
この宿命から逃れられる。
それなのに…

まざまざと刻み付けるように残す…知らない香水の匂い
知らない女性
酒の匂い

知らないままで、いたかった事まで
お膳立てに私の前に据え置いて…
私を苦しめる。
樹憂

私はお前など望んでいなかった。

樹憂…

どうしても

どうしても
お前だけは許せない。



II−3

いつも無口で、静かに微笑んでいるような子だというイメージだった。
お前の従兄弟にあたるんだよと、初めて紹介されたときは
物静かな女の子だな という印象だけで終わった。
けれど、
数年後、会ったその従兄弟は
背も高く、気のせいか声も低く…
どこか青年という雰囲気を纏っていた。

その時、初めて双樹が、生まれつき彼女であり彼でもある身体を持っている事を知った。
染色体的には男。けれど身体には一部女性の兆候。
それまで両親でさえ、女の子だと疑わずにくらしてきたという。
性別は…好きに選べばいい。「自分の人生なのだから」
それだけ両親は双樹に伝えた。
けれど、
自分が今まで、女性だと信じ、疑わずに生きてきた双樹に
根本は覆りようの無く「男」であるという現実は、もうそれだけで抱えきれないほど双樹を混乱させた。
それでも、好きに生きろ と。
両親は関わることを拒んだ。

自分を不気味に思うだろうと、怯えて…構える双樹が不憫だった。
それでも、どちらかになんて絞れずに…
今までの歳月と、これからの人生を思っては、
誰に相談する事もなく…一人肩を震わせている姿が…大和には…痛かった。

こんなに不安定でいる双樹を、両親はどうして放って置けるのだろう?

そこで、大和は意外なものを見た。

そう

双樹ではない双樹を見た。

「わたしなら大丈夫」
と、聞いたことも無いような明るい声で 笑顔で
両親に話し掛ける双樹だった。

両親が双樹に対して冷たいだけではなかった
両親は創られた 「双樹ではない双樹」を双樹だと思い込んでいたのだった。
双樹もまた…両親に対して本当に向き合うことはなかったのだ。
そこまでお互いは冷め切っていた。

最初に双樹が他の人格を認めたのは、亡き伯父(きりや)叔母(じゅり)の生まれ変わりだと
過剰に期待する父親に耐えられなくなったときだった…と聞いた。
それ以来、親の相手は「助けて欲しい?」と聞いたあの少女が務めていたのだと「思う」と双樹は言った。
急に明るくなった双樹を父親は、「目覚めた」くらいにしか思っていなかったのだろう。


けれど現実は…
「助けて欲しい?」と尋ねた幼い少女・“えんじゅ”から別れたとされる
通称“樹璃(きり)”と呼ばれる人格のみが両親を相手していた。

大和が、確認されているだけの全ての人格に会うのは



…まだ、もう少し先の話。


←back next→
top