人の降る街
― Where is he now? ―
些谷将臣例えば 貴方が悪夢から目覚める瞬間。
まず はじめに その瞳に移るのは、貴方の部屋の天井でも その他の様子でもなく。
貴方が脳裏から引きずり出した闇と…現実に対する絶望である…。
まず はじめに その瞳に移るのは、貴方の部屋の天井でも その他の様子でもなく。
貴方が脳裏から引きずり出した闇と…現実に対する絶望である…。
全ての人間がそうであるとは言わない。
むしろ 多くの人は意識して目覚めた事などないと思う。
はっきり言って理由などないが。
ただ…それが当然だと思うからだ。
その通りだと、私の話に共感できる人間はそうはいないはずだ。
かと言って…分かるという人間はまれだとか、特別だという訳でもなく。
単純な話。睡眠に徹したい時、いちいち そんな事を考え、認識する奴など、はっきり言って いないだろうという事だ。
どうだろう。
この先も まだ私の話に耳を傾けてもらえるだろうか。
何ら物事の解析がしたい訳ではない。
人それぞれが持つ価値観を否定したり、ひるがえしたいという訳でもない。
まず私が貴方に対して理解を得たいのは…今 私が興味を引かれている一人の男に対する話を、ただ なんとなく聞いて欲しいという事だけだ。
取り留めもない話になるが。
私は シャングリラ中層市に住む一人のジャーナリストである。
とは言え肩書きのみ。人に尊敬されるような仕事ではない。
簡単に言えば、メディアで飛び交う噂話を隅から隅まで把握したつもりになり、民衆の興味をそそるよう、自分の価値観から叩き出した余計な詮索をコメントに乗せるだけの仕事柄。
何にしろ、特別 頭がいい訳でも 未来透視が出来る訳でもないくせに、それらしい事を言って物事の裏付けや予想される結論を述べ、当たるか当たらないかは時の運とメディアにどれだけコネが効くかで左右される微妙な路線を行く人間だ。
好き勝手 言い過ぎると逆に叩かれる。
だが反感を買うギリギリの線に付けなければ、人に何かについて考えさせるのは難しい。
正論のみ述べたところで、人からの支持は得られないからだ。
ふ〜ん。 だから?
で終わるような話などしても仕事にはならない。
番組や雑誌を取り仕切るプロデューサーやゲストで呼ばれたコメンテーターや政治家の個性と人柄を こちらの意見から引き出し、メディアに触れる人々に伝える。それが私のジャーナリストとしての役目だと思っている。
微妙すぎて嫌になる事もある。
自分の信念だけ述べていられたら どれだけ楽か。
人からの反感を買おうとも仕事を続けられたなら どれだけ恵まれた事か。
中には地位や財力によって それが許される者もいる。
しかし、私には それが無い。
名乗ったところで、記憶に私の存在を留めてくれるような人間などいないだろう。
そのため私は悪夢を見るのだ。
これまで生きてきた中で 私が言葉にしてきた事を批判する…もしくは記憶の片隅にすら留めてくれぬ人々の数が、一筋の道を行く私の足元に石ころとなって転がり、私の足取りを阻むのだ。
つまづかぬように歩いても足元をすくわれる。そして動けなくなる。
ただ再び立ち上がればいいだけの事が…出来ない事もある。
悔しいなんてものではない。
ただ泣きたくなるのだ。
男のくせに 情けない話だが。
あえて… あえて つまづいたままでいたいのだ。
誰か現れてはくれないか。
ひざまづいた私の目の前に現れ、手を差し伸べてくれる人はいないだろうかと。
しかし…私のような思いをしている人間が、この世を生きる人々の多くにとって決して珍しくはないせいだろう。
そんな私の前に現れてくれる人間は 未だ、誰一人としていない。
そう そして、ただ… 『そんな所で何をしている』 …と。
何処からか冷たい視線を感じて 目覚めるのだ。
自分が哀れで仕方ない。
本当は分かっているからだ。
責任も取れない言葉で 人に何かを訴えようなどとは…甘すぎるのだと。
そのためだろう。
私は おそらく何かがしたかった。
一つの形として誰かの記憶に残るような…何がしたかったのだ。
けれども後先 考えず する事は大抵 裏目にでる。
そもそも私は馬鹿なのだ。
度が過ぎる余計な詮索などして。挙句 裏の世界に足を突っ込み…ものの見事に こけ落とされた。
はじめに関わりを持った 良からぬ連中に、シャングリラ政府に反旗を翻す輩との橋渡しを依頼した事からだ。
会わせてやるとは言われたものの、何日経っても帰してもらえず。
危うく 人体収集家の標本として売りさばかれるところだった。
それが なぜ助かったのかと言うと。
政府警察と、噂の反政府派組織の踏み込みとが重なって状況が一変。 更には 悪化。
自分はいつから戦地のリポーターになったのかと 頭を抱えて縮こまるしかなかった所を、一人の男に救われたのだ。
が。はじめ、自分でも そうとは思えなかった。
何しろ不意に肩を叩かれ 顔を上げた瞬間、頭に銃を突きつけられて政府警察に属する治安維持部隊の面々に向かい、楯にされたからだ。
それ相応の覚悟はしていたつもりだが。いざ事が起こってしまうと冗談じゃないと思う。
武装し銃を構え、損壊した壁の向こうで分厚いゴーグル越しに 自分の後に居る連中を睨む隊員達の視線が恐ろしくて仕方なかった。
まあ いいから撃たないでくれ。
両者に言いたかった。
血の気が引いて さわさわと耳の内側に聞こえた音が、まるで三途の川のせせらぎのように思えるのだ。
その後、人質として手荒に連れ去られた私は、途中で意識を失った。
シャレにならない逃走劇、バードチェイスの最中だった。
乗せられていたバードから振り落とされそうになり、気を失ったらしい。
そして、次に気付いた時。私は 赤く錆び落ちた鉄の砂で汚れた床の上に寝かされていた。
冷えきった手足の感覚に違和感を覚えて目覚めたのだ。
そのうえバード上で嫌という程 体感した無重力感が 身体に残っていて ことさら気分が悪い。
けれども、前向きに考えれば ある意味 大願成就。
死ぬ思いをした甲斐があったと、その時 私は まさに…接触をこいねがった男を目の前にして思っていた。
しかし、まさか弾の楯にされるとは…神の存在を疑う。
はじめから信じていた訳でもないが。こういう時に限って ふと考えてしまうものらしい。
だが、そんな事は すぐにどうでもよくなった。
初めのうちは後ろ手に枷を掛けられ、立ち上がる事も出来なかったが。
程なくして私は反政府派組織を率いる目の前の男…名をロキシと聞いたが…。そう、私は彼の命により、即 自由を与えられたのだ。
つまり、帰ろうと思えばいつでも帰れる状況。その上 途中まで目隠しを条件として送り返してくれるという話だった。
気が抜けるとはこの事。はっきり言って訳が分からなかった。
用済みになったのだから、まあ そんな対応も運が良かったと思うに尽きるところだが、妥当すぎはしないかと。
しかもだ。目の前の男 一人を取り巻く連中の普通な事 普通な事…。
言い換えれば、緊張感など一切無い雰囲気だった。
女、子供有り。部屋の隅で茶をすする老人有り。
男連中のほとんどに関しては柄の悪い奴ばかりではあったが。治安維持部隊は今頃どうしているかなど…噂話などしながら笑っている者すらいた。
ロキシ…。彼は それ以外の名も肩書きも持たぬ闇の世界の一人である。
表向きには その存在すら有り得ない。金や名誉とも無縁な ただ一人だった。
この世に存在する以上、金と関わらずに居られること自体 異例だというのに。
それでも彼は 私の目の前に当然のように存在し、どうみても悪者とは思えない人間達に囲まれていたのだ。
これまで どうやって生きてきた…。
どんな人間に必要とされ、生かされてきた…。
彼と対面した私の脳裏は 間もなくして そんな彼に対し、日頃から抱いていた 興味で溢れた。
他のどんな提言や質問よりも。彼が そこに存在する事に対しての、ただ一つきりの関心だった。
自分がジャーナリストである事など、忘れてしまっていたと言っても否定できない。
いや、そんな立場的ものは とっくに捨て去っていた。
だいたいにして、飛び込み取材なんて軽い気持ちは理性や自衛本能のあるうちは生じない。
これも万人に当てはまる事ではないが。私の場合はそうだった。
だが、捨て身の覚悟で ここまで来ておいて…私は見えなくなっていた。
何もかも、自分の自己満足のためのものと思っていたが、どうしてだろう。
分からないのだ…。
ただ、夢の中で足元に転がる石につまづかぬよう。
人に何かを訴えかけられるような力。実績。
自信に繋がるものを手に入れようとしていただけだと思っていたが。
分からないのだ…。
「ジャーナリストとして…貴方は重大な間違いを犯した。
貴方の仕事はあくまで 世界を飛び交う情報や人の意見を自分、
もしくは代表されるの誰かの価値観にのっとって、
世間、一般の人々に伝え、波紋を生み出し。または それを把握し、
そうすることから生じる新たな見解を見出す事であって。
それ以上の働きは命に関わる」
貴方の仕事はあくまで 世界を飛び交う情報や人の意見を自分、
もしくは代表されるの誰かの価値観にのっとって、
世間、一般の人々に伝え、波紋を生み出し。または それを把握し、
そうすることから生じる新たな見解を見出す事であって。
それ以上の働きは命に関わる」
床に体を伸べた姿で目覚めた私の目の前で、柔らかに そう言った彼が…。
「そこまでして… 貴方は何が欲しかった…?」
そう続けた あの言葉の意味が…。
まるで惑わされている気分だ。
『力』と『実績』を得るため…。
はっきりと そう答えてやればよかった。
文句あるか…。
あの時 その言葉が思いつけばよかった。
しかし あの男は その何もかもを忘れさせるのだ。
これまで 触れぬように隠し続けてきたものを掻き出そうとするのだ。
俺はいったい何のために あの男と会った。
それは何かを得るためであって 醜態をさらすためではない。
何度 自分に言い聞かせた事か。
やがて中層市へと帰された私は、その事が頭から離れず部屋にこもった。
時計の針が何度 回ったかも憶えていない。
けれども どれくらいしてか。昼か夜かも曖昧な時間帯。久方ぶりに眠りに就いた私は、あの悪夢の中で答えをみつけたのだ。
はじめは いつもの事だと思っていた。
暗闇の中に一人きり、自分の姿だけが浮いていて…。
平地だという感覚を頼りに ただ歩いていただけのはずが…。
何かに躓き 足元を見る…。
すると そこには ほんの小さな石ころがあるだけで。
こちらは全身を横たえる程のつまづきようだったにも関わらず、足取りを阻んだそれは 飛んで転がりもせず…そこにある。
悔しいなんてものではない。
ただ泣きたくなるのだ。
そんな自分の醜態が恥ずかしいばかりに…。このままどこかへ消えてしまいたいと思うばかりに…。
だが その時だ。
いつも通りであるはずの夢の中。暗闇の中。
相変わらず うずくまったままの私は、はっとして誰かの足元に居る事に気が付いた。
しかし私は、片膝をついている その様だけ伺っていた。
当然のように…泣きっ面など決して上げたくはなかったため。
それより上へ視線を上げるつもりなどなかった。
ところが…そんな私の狭い狭い視界に ゆっくりと手のひらが差し伸べられ、私は思わず顔を上げて彼を見た。
あの日、目覚めた私の目の前で…どういう訳か微笑んだ… そう、彼。
…ロキシを。
例えば 貴方が悪夢から目覚める瞬間。
まず はじめに その瞳に移るのは、貴方の部屋の天井でも その他の様子でもなく。
貴方が脳裏から引きずり出した闇と…現実に対する絶望である…。
まず はじめに その瞳に移るのは、貴方の部屋の天井でも その他の様子でもなく。
貴方が脳裏から引きずり出した闇と…現実に対する絶望である…。
悪夢から逃れるために その目を開こうとする直前。
憶えはないだろうか。
全身を巡る気だるさ。
自分が自分であることが嫌になる程の苛立ち。
嫌悪感。失意。
実際のところ。私は自らの現状に絶望感を抱いていたに違いない。
しかし、それでも生きていくため。見てみぬ振りをしていたのだ。
打開策のみ探し出せばいいものと。そう、散々 足掻いていた。
今以上の何かさえ手に入れればいいと…。それを持たない自分さえ変われたらいいと…。
けれども本当に私が求めていたものは もっと違ったカタチのものであって。
私は この日、目覚めて ようやく理解したのだ。
「ジャーナリストとして…貴方は重大な間違いを犯した。
貴方の仕事はあくまで 世界を飛び交う情報や人の意見を自分、
もしくは代表されるの誰かの価値観にのっとって、
世間、一般の人々に伝え、波紋を生み出し または それを把握し、
そうすることから生じる新たな見解を見出す事であって。
それ以上の働きは命に関わる」
貴方の仕事はあくまで 世界を飛び交う情報や人の意見を自分、
もしくは代表されるの誰かの価値観にのっとって、
世間、一般の人々に伝え、波紋を生み出し または それを把握し、
そうすることから生じる新たな見解を見出す事であって。
それ以上の働きは命に関わる」
床に体を伸べ姿で目覚めた私の目の前で、柔らかに そう言った彼が…。
「そこまでして… 貴方は何が欲しかった…?」
そう続けた あの言葉の意味を…。
『命を投げ出すくらいなら、心から求めるものを探すべきだ』 と。
なぜ私は今まで気付かなかった…。
醜態を曝したくないばかりに、どうして。
どうして…。
あの日 目覚めた私に問いかけた彼が、やがて背を向けて去っていこうとした その時。
『何にしろ、誰しも与えられる命は一つきりだ。
どうせ 命を懸けるなら、
上辺、体裁に囚われない本心が得ようとする 何かのために投げ出さないか…?』
どうせ 命を懸けるなら、
上辺、体裁に囚われない本心が得ようとする 何かのために投げ出さないか…?』
と、最後の最後に そう言い残してくれた彼の言葉をもう一度…いや、いつでも聞ける場所に居たいと…。
どうして素直に そう思えなかった…。
今の私なら素直に言える。
どうか、こんな私が生き続ける事を許してくれと。
人間には必要なのだ。
どんなに弱く、醜くあろうとも…愛し続けてくれる存在が。
言葉も交わせぬ、触れる事すら出来ぬ『神』では信じきれぬ。
そのため私は彼に言いたいのだ。
青き翼を持つ使者と噂される君よ…。悪夢に悩まさせる人間達に目覚めを…。
物事の善悪を悟るにいたらず、ただ闇雲に力のみを得ようとしていた私が本当に欲っしていたものは、紛れもなく そんな私でも導いてくれるような指導者だ。
そのため その事に気付かされた私は 守らなければならないのだ。
例え役に立たなかろうとも、これまで得てきた力の限りに。
指導者として私が選んだ彼を…生かし続けるために。
だから どうか…。
誰か 教えてはくれないだろうか。
今… 彼はどこにいる…?
私は彼の傍にいて…彼と共に生き続けたいのだ。
−END−