novel

Multiple Personality Disorder
番外編@


櫻 朔弥



これは、見たくない現実だったのか、さして問題のない状況なのか。
もう、すぐそこが家…という場所で、律人(りつと)大和(やまと)を見つけた。

少し離れた場所だったけれど、絶対に見間違えるハズがない。
“自分がプロポーズした女の子”を。

ただ…大和は1人ではなかった。肩より少し長い髪を一つに束ねた、大和よりも背が高い誰かと一緒だった。大和はその誰かの背中に手を廻して……。
体つきは男だ。でも、長い髪は……どうだろう。
もう少し早く歩いていれば、こんな場面にかち合わなくて済んだかもしれない。でも、ただ単に、背の高い女友達で…具合が悪くなったのに付き添っていつのかもしれない。
突然のプロポーズに、当然の如く「すぐは返事ができない」と言われてから、会っていない為に、余計声を掛けづらい。
…学区も住んでいる町も違うから会わないのは当然といえば当然なのだけれど。
やっぱり……アレは無謀すぎただろうか。

声をかける・かけない。
あれこれ悩みながら見ていると、青になった横断歩道を歩き始めた大和の連れの膝が突然カクリと折れ、支えていた大和もバランスを崩した。
「危ない!!」
考えるよりも先に、律人の足は走り出していた。
「大和ちゃん!!」
呼ばれて、振り返った大和の顔は泣き出す寸前のように見えた。
いつも涼しい顔の大和しか見ていない律人に、その表情は言葉に出来ない感情を抱かせた。
どうしていいか解らない。そんな…困った子供のような顔。
「代わるよ。大丈夫」
自分がしっかりしなければ。無性にそんな気持ちになった。
大和が支えていたカーキのジャケットの“誰か”は、遠目で見たよりも華奢で、律人よりも背が高かった。律人はその“誰か”の正面に回りこみ、“誰か”を背負う。
見かけよりも、軽い……。
信号が点滅を始める。
とりあえず、歩道を戻り、青ざめた顔の大和に「このコ具合が悪いの?救急車呼ぼうか?」と訊く。背中の“誰か”は、中性的な美形で……骨太そうだが体は軽い。益々、男女の判別がつかずに、そっちの方が律人にとってはちょっとした問題だった。
「病院はダメ…。でも…何日か食事をとってないみたいで…」
大和の手は、律人が背負ったカーキのジャケットの裾を掴んでいた。
「じゃあ、俺タクシーが、このコの家まで送っていこうか?」
努めて明るく言ってみるも、返事はない。
(ここは笑うトコなんだけどな)
この状況では…笑いようがないか…。
「このコの家は?」
「それは…」
「……問題アリ…なの?」
顔色の冴えない大和に、なんらかの事情がある事は見て取れる。
「…じゃあ…とりあえずさ、ウチで相談しない?すぐそこなんだよね。ギャラリーもいる事だしさ」
歩みを止めて、コチラを見ている人も結構いる。
少し驚いたような顔をしてから、大和は背負われた“誰か”を見つめ…
答える代わりに小さく頷いた。

律人は…名前を聞けば、このカーキのジャケットのコが、男か女か解決すると思った。
「名前はなんていうの?」
双樹(そうじゅ)…。黒耀(こくよう)双樹(そうじゅ)。私のイトコなの」
大和のイトコ。親戚だったのか…。確かに、黒耀の家系にはそういう名前があった。16歳になったと同時に、親戚や家系につらなる者の名簿を暗記させられるのが、律人達の一族の慣わしだったからその名前に覚えはある。
ただ……男か女か。その謎は一向に解けない。
「えっと…女のコ…だよね?」
瞳を閉じたままの顔を見つめても、よくわからない。
白い肌に、長い睫、長い髪。
細い顎。
でも…女性よりは発達して見える喉仏。
とりあえず、双樹を律人のベッドに横たえると、大和が双樹の様子を伺う。
ジャケットを脱がせて初めて解る、肩周りの骨の逞しさ。けれど…華奢。
「……」
眉根を寄せて、双樹を見つめていた大和が、搾り出すように告げる。
「戸籍上は…今は…女性…」
聞くほどに、聞きたい疑問が増えていくなんて。
けれど、大和の様子を見れば、根堀り葉堀り聞くなんて、とてもじゃないけれど出来ない。

…元は男。でも、なんらかの事情で“戸籍上は今は女”なのか
…元々が女性。でも、男として振舞っていてゆくゆくはそうしたい?から“戸籍上は今は女”??
律人はそこまで考えてから、やはりもう一度聞くことにした。
「言いにくい理由があるのかもしれないけれど、双樹…さんが目を覚ました時に、傷つけるような事だけはしたくないから…話せる部分だけでいいんだ。もう少し、事情を説明してもらえないかな?」
言葉を選んで、できるだけ丁寧に心がけて、律人が話す。
いつも、ヘラヘラと笑っているイメージの律人だけれど、そうか…。
こっちが律人の本当の顔なのかもしれない。と大和は思った。
「でも…信じられないと思う…」
「俺、大和ちゃんの言う事なら信じられるよ」
間髪をいれない律人の返事。まっすぐな眼。
今まで、弟と双樹にだけ向けられていた大和の気持ちが、少しずつ…律人の存在を認め始めていた。
「ずっと女の子として育ってきたの。両親もそう思っていた。でも、体が…思春期を境に男性のような変化を見せ始めた。調べたら、遺伝子的には…双樹は男性だと解った。それに…多重人格の兆候があるの」
大和の言葉は、律人の予想をはるかに越えていた。
「それでも…信じられる?」
静かに、大和が律人を見上げた。
黒い瞳がまっすぐに律人を見据える。
「信じてる」
そう言って、律人が頷く。
「でも、そしたら…双樹さんは…女性でいたいのかな?それとも…」
「それは…」
大和は横たわる双樹を見つめる。
「よく…わからない。でも、私…双樹の事は、姉のように思ってる」
「そっか」
…沈黙が流れかけたその時、
「私、買い出しにいってきてもいい?」
大和が律人を振り返った。
「俺が行くよ。何を買えばいい?」
「とりあえず、何か食べさせなきゃ…。薄めのお粥とか…だから…お米を」
「そんなの、ウチにあるの使いなって。冷蔵庫もさ、漁ってくれていいよ。ただ、期限切れトラップがあるかもしれないから、そこは気をつけて」
ニッ と、憎めない笑顔を大和に向ける。
一瞬、目を丸くして律人を見て……また、すぐ真顔に戻ると
「じゃぁ…お言葉に甘えて…お台所お借りします」
言葉短かに、そそくさと大和は部屋を出て行った。



まさか…大和が自分の家のキッチンに立つ日がこんなに早く来るなんて!!
これは、ぜひ見ておかなければ!
律人が部屋を出ようと、ベッドに背をむけたと同時に、左手首を掴まれた。
「?!」
振り返れば、掴んでいるのは双樹。
「双樹さん、目が醒め……」
律人の声に、開いた眼がギロリと動く。
「大和に手を出すな」
絶食中とは思えない程の強さで、双樹の左手が律人の手首を締め上げた。
「ちょっ…ちょっと、落ち着いて話し合いましょうよ」
笑顔で答えてみるも、力が弱まる気配はない。漫画なら、ミシミシと効果音が入りそうな程に手首を握られて、ついに「くっ…」律人から声が漏れた。
「すんじゃねーか痩せ我慢。大和に近づかないって誓え。じゃなきゃ…このまま折ってやってもいい」
指先がビリビリと痺れる。そんな事があるはずがないけれど、指先が破裂しそうな程にパンパンにはれ上がっているような気さえする。
「大和ちゃんに……近づかない…」
しぶしぶ答える律人を見上げて双樹のキレイな顔がニヤリと醜く笑う。
その顔を見下ろして、
「……なんて…」
律人が負けじと卑屈な笑みを浮かべた。
「言うかバーカ。俺はとっくにプロポーズもしてんだよ。いい加減“手を離せ黒耀双樹”!」
律人の言葉にベッドから半身を乗り出して、睨み返す。その形相はお世辞にも女性とは思えない凄みのある顔だ。
「お前が“九谷”か!!」
大和にプロポーズをした男。“九谷(く たに)”の息子。それはどこかで耳にした事があった。
「…っ、この馬鹿力!いい加減に“放せ!黒耀双樹”」
掴まれた時よりは、力が弱まったものの、手が放れない。
「“言霊(ことだま)”は無駄だ。俺は双樹じゃない」
勝ち誇ったように、ベッドの上の“男”が律人に言い放つ。

なるほど。

律人が“命令”として口に出した言葉が実行されない試しはない。
(双樹ではなく、コイツが違う名前を持っているならそれも納得だ)
でも、体は双樹だから、いくらか言霊は利いているんだろう。
掴む力が弱くなったのがその証拠。
けれど、手が放れないのはやはり…コイツが双樹でないという証拠でもある。
なにも、多重人格であるという実証をこんな形で体感しなくたって!!
「誓え!その言霊(くち)で。『大和を諦める』と」
綺麗な顔は影もなく、そこには憎悪をむき出しにした男の形相があった。
「くっそ…こんぐらいで諦めるくらいなら、最初から告ってなんかねー!」
律人が素早く、双樹の額を右手で掴む。
「うっ?!」
振り払おうとして右手を出した双樹の体がバランスを崩す。
その勢いで律人は右手で双樹の頭をちからいっぱい枕に押しつけた。
「手の一本で彼女が俺を認めてくれるなら、そんなもん惜しくもなんともねーんだよ!!いい加減、マジで離れろっ!!」
(双樹さんごめん)
小さく呻いて、律人を掴んでいた手がパタりとベッドへ落ちる。

はぁ…はぁ…はぁ…

息が上がったまま、律人はフラフラとベッドから少し離れた床に座り込む。
左手首には、赤く生々しい指の痕。
「なんっつー、馬鹿力だよ…」
ベッドを見れば…さっきの奴の気配はない。少し青白い双樹が横たわっているだけだ。
パタパタと足音が聞こえ、振り返ると大和がドアの向こうから現れる。
「何か声がしたけど……双樹起きた?」
「あ…いや…」
律人は慌てて、左手首を袖で隠した。
「双樹!!」
大和の視線は律人を通り越して、ベッドへ向けられていた。
「え?」
律人が振り返ると、そこには壁にもたれながら律人を見つめる双樹の姿があった。
(こいつ!?気配がしなかった!)
「大和…ここは?この方は……」

警戒するように、目が部屋中を泳ぐ。それはとても落ち着かない仕草だった。



To be continued...

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